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北九州文学散策 153(椋鳩十)

 椋鳩十文学碑(鹿児島県熊毛郡屋久島町宮ノ浦 なごりの松原公園)-平成6年秋建立ー
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 椋鳩十(むくはとじゅう)。児童文学作家。明治38年(1905)~昭和62年(1987)。
本名久保田彦穂。長野県下伊那郡喬木(たかぎ)村阿島の出身。旧制飯田中学(現・長野県
飯田高校)、法政大学法文学部国文科卒業。
 父は乳牛を飼い、母は助産婦でした。山好きな父の影響で、幼い時から、自然や動物と
親しむ生活を送りました。小学校6年生の時、担任教師から、「ハイジ」を借りて読み感銘を
受けたのが文学への眼を開かせたと言います。24歳の時、妻みと子さんと学生結婚しまし
た。大学在学中に、、詩集「駿馬」を発表しました。 
 大学卒業が25歳、女医をしていた姉の紹介で、種ケ島の小学校教員となりますが、あまり
に暑かったので、ふんどし一つで授業をして首になりました。たまたま欠員のあった鹿児島県
加治木町の高等女学校の国語教師になります。
 仕事の傍ら、宿直室で小説を書き、昭和8年(1933)、初の小説「山窩調」を椋鳩十のペ
ンネームで自費出版します。これが、文壇に認められ、新聞、雑誌などに連載小説を書くよう
になります。そして、講談社の「少年倶楽部」に少年のための小説を書くよう勧められ、このこ
とが鳩十を児童文学へと導いていくのです。
 
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 42歳の時、鹿児島県立図書館の館長に就任。「母と子の20分間読書運動」を提唱し、全
国に広めました。昭和42年から、鹿児島女子短期大学の教授を務めました。
 昭和62年、82歳で、亡くなっています。
 日本で、初めて本格的に動物文学のジャンルを切り拓いた作家で、不朽の名作を数多く残
しています。
 「大造じいさんとガン」は、今でも小学校の国語教科書に採用されています。
 彼の動物文学は、動物の生態を生息する自然の中で正確に描写し、動物と人間とが自然
の中で共存する大切さを教えています。
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 加治木町には、20年間居住し、鳩十にとって第二の故郷とも言える場所です。「椋文学発
祥の地」として、平成2年に、「文学記念館」が開設されました。
 出身地の長野県下伊那郡喬木村にも、「椋鳩十記念館・図書館」が、平成4年8月に開設
されました。

 この文学碑は、鳩十が屋久島に滞在した時、地元の製菓業を営なむ馬場さんという方が、
鳩十の足跡を残そうと建立したものです。この時、鳩十は、「片耳の大シカ」を執筆したとい
います。「寒い冬の日、猟師は、片耳の大シカを追って激しい風雨に凍死寸前になる。その
命を救ったのは、偶然出会った鹿の群だった・・・・・・・・・」
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 この石碑が建っているのは、宮之浦港の「なごりの松原公園」で、昔、砂浜だったところに
造られた松林に囲まれた公園で、ここから船を見送ったので、このような名前がついたと
云います。

 主な作品は、
  片耳の大シカ(文部大臣奨励賞)
  大空に生きる(未明文学賞冷笑)
  孤島の野犬(国際アルゼンチン賞)
  マヤの一生(児童文化奨励賞)
  大造じいさんとがん(児童学校学習最適賞)
  ヤクザル大王   など。
 このうち、「片耳の大シカ」と「ヤクザル大王」は、屋久島の動物をモデルにした作品で、
作品のモチーフになる題材を提供したのは、湯泊の漁師故佐々木吹義さんで、湯泊に
も、「感動は人生の窓を開く」と彫られた石碑が建っています。
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 文学碑の写真 かなさん
 鳩十の顔写真  長野県喬木村椋鳩十記念館・図書館ホームページより
 椋鳩十文学記念館の写真 加治木町文学記念館ホームページより
 紀元杉の写真 屋久島町ホームページより
 片耳の大シカの本の表紙の写真 短歌 コメント  並平

 

by dendenuta | 2009-07-12 17:08
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by dendenuta
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